Caldera Man

私が設計の仕事をしていて一番好きな瞬間は、現場でものが出来上がっていくその時である。あの高揚感は何にも変え難いし、何度味わっても新鮮に感じることができる。だからよほど事情がない限りは、基本的に現場に入り浸っていることが多い。職人さんから現場監督に間違えられることもよくある。加えて時々、自分も作り手に参加したいという思いが抑えきれない時がある。誰がやっても同じ結果になるような野良仕事はさせてもらったりするが、お客さんに納品するものである以上、プロと素人で差が出るものにあまり手を出すわけにはいかない。行き場のない創作欲は、自宅の家具製作では満たされず、とうとう自転車いじりにたどり着いた。

いじりとはいえ、優しくない。徹底的である。

この自転車「CALDERA MAN」は、某オークションサイトで1円で落札したガラクタをリノベーションしたものである。元の自転車の情報はほとんどわからず、おそらく1970年代に作られたものだろうというところまでは、近所のマニアックな自転車屋のおっちゃんが突き止めてくれた。昔の規格が使われているため、使えるようにできる保証はなかったが、これまで5台組み上げてきた知識と技術をフルで動員して格闘した。使えるものは残して、使えないものは交換。それぞれの互換性を考えながらパーツ選びをする必要があり、かなり難易度の高い作業だった。

結局休み休みやっていたので、1年ほどかかったが、最初の分解、磨き、塗装、組みあげまで1人で完成させることができた。

実利的な面だけに目をやると、建築もそうだが、新品の方が断然楽。手間もかからないし、考えなくて良いし、下手したら安く済む。しかし新品をポンポン買い換える生活は楽しいだろうか?美しいだろうか?

実利だけで正当性を主張しているSDGsを、私が忌み嫌う理由はこうした視点が抜けているからである。実利が崩れるとたちまち嘘くさく聞こえてしまうからだ。本質はそこにはない。今は聞かなくなった「もったいない運動」の方がよっぽど良かった。

長くなったので、製作過程の写真の最後にビート武の言葉を引用して締める。

(ビート武『みんな自分がわからない』新潮社より)

今の子供は、ほんとうに偉そうにしてるよ。

親から金をもらうのが当然のことのように思っている。

親もまた、ねだられれば、子供にすぐ小遣いをやる。

だから我慢ということを知らない。

その上、みんなで意見を言いましょうなんてとんでもないよ。

昔は「嫌なら止めろ」だったんだ。

「まずきゃ食うな」とかさ。

だから、あらゆることで下品なやつばっかり増えたんだ。

品の良さっていうのは、とりあえず腹に収めちゃうっていうことだろう。

まずいなと思っても、ちゃんと食って、それでもほんとにまずいなら食わないってことだけだった。

それが、いろんな難癖を付けるようになった。

なまじの中流ってのほど下品なものはないね。

金があると下品なことをやりたがる。

金さえ出せば手が届くように見えるものには我慢できずにすぐ手を出してしまうんだ。

要するに、中流の奴らが、金で品を買おうとして、

いろんなブランド商品を買ってきて自分に品をつけようとした。

それは大きな間違いだったんだ。

買うんじゃなくて、買わないことでしか品は得られない。

修理した車だとか、修理した靴だとか。

修理品を持っていて、なおかつそれなりの雰囲気を持たない限り、

日本はいつまでたっても文化的には立ち遅れたままだな。

車を買いかえなかったりすれば、経済は停滞するだろうけど、品だけはかっちり出る。