阿吽の倉



防水・土木関連会社の倉庫新築の計画。元々の倉庫が手狭になったことで依頼を受けたが、まだ独立した身分ではないため、いわゆる「設計業」という形ではなく、「図面を書く施主」という立場(依頼者が親族であったため)で、この建築の設計に携わった。

敷地は雑多な住宅地の一角。一部を貸し倉庫にできるようにすることと、荷積み荷下ろしが軒下で行えることが要望として求められたため、屋根の下に土間を挟んで同一平面を並べる「双倉(ならびぐら)」という古代の建築形式を提案した。

現存する「双倉(ならびぐら)」は、平安時代初期に建てられた法隆寺の「綱封蔵(こうふうぞう)」のみ。寄棟屋根で覆われた2つの蔵に寺宝が収められ、中央にある空間に扉が配される。研究例が少ないため想像の域を出ないが、穀物などと異なり、ある程度大きいものを仕舞うため、平入り方向に軒を出すのに苦戦していた当時としては、風雨を凌ぎながら荷解き荷積みを行うためには、中央の床を抜いて空間を作ることが最適解だったように思われる。湿気対策の意味で高床は共通だが、「東南アジア由来の穀物庫用途の高床式倉庫」から「伊勢神宮」へとつながる、いわゆる「ほぼしまいっぱなしタイプ」ではなく「大型荷物出し入れタイプ」あることが、この特殊な建築形式を生んだのではないかと考えられる。ちなみに東大寺の「正倉院」も元々は同様の形式であったとされており、その証拠に中央の壁だけが校倉造りになっていない。

法隆寺綱封蔵 (2024/04 筆者撮影)

昨年、奈良で社寺巡りをした際、高校の修学旅行以来久しぶりに「綱封蔵(こうふうぞう)」を訪れた。真ん中にぽっかり開いた空間に引き込まれるような魔力的感覚が、特に建築に興味のない時分の私の記憶に十分刻まれていたことを思い出した。

要望に対しての平面の合理性が後押しし、記憶の中の風景を、時間と空間を飛び越えて、何もないこの土地へ挿入することとなった。

機能上分裂した二対のボリュームには、狛犬や仁王像のような振る舞いを期待して、縦長のアルミサッシと正方形の木サッシを配した。やむを得ず採用したサイディングには、アルミと木を法律が許す範疇で添えた。

休憩室以外は冷暖房が不要のため、断熱材はない。夏季は屋根面からの放射により室温が上昇するため、室内温度を外気温に近づけることを目標とし、壁全体から給気ができるような仕組みを考えた。外壁の段差は空気の取り込み口となっており、壁内の風道を通じて室内つながるようになっている(矩計図参照)。外観上は閉じながら常に外気に解放された内部空間をつくった。